コロナ禍

副院長 黒川 淳一

先日、新聞の朝刊を見ていると、保健所の職員さんがCOVID(コビッド)-19(新型コロナウィルス感染症)対策で大変な事態になっている、といった報道がなされていました。その大変さの内容というのが、ウイルスそのものの性質の話ではなく、住民からの苦情問合せ対応が大変だ、という事でした。中には“感染者の住所を教えろ”“感染したらどうしてくれるんだ”といった、ちょっと考えれば誰も答えようのない性質だと分かる様な質問をわざわざ電話しては、保健師さんらの仕事を増やして痛めつけているだけ、といったケースが後を絶たないらしいそうです。あんまり執拗な問合せに、職員さんらが泣きながら対応しているとかで、もはや人災の様相を呈してきました。事ここに至っては、自分だけ助かりたい、誰かが自分を助けるべきだ、というエゴイズム丸出しの状況が透けて見えてしまう辺りに、コロナ疲れを一層、感じてしまいます。

16世紀の欧州、小寒冷期に伴う凶作を魔女のせいだということにして、罪のない誰かをスケープゴートに仕立て挙げては相互不信を煽り、傷つけあった歴史を思い浮かべてしまいます。現代においては、少しでもミスがあろうものなら、たちまちネット上で袋叩きにしてしまうといった問題が以前から指摘されています。匿名性もあって、攻撃性は寧ろ先鋭化しているかもしれません。昔は拷問でしたが、今は暴言という形で相手を再起不能にまで叩きのめしてしまうという構図であり、魔女狩りの時代と何ら変わりありません。

自分が正しいと思った事を冷静に見つめ返すのは至極、難しい事です。少しでも納得がいかないとなると途端に、他者を(自分なりの)正義の名の下に攻撃してしまうのが人間らしさ、とも言えるのでしょうか。攻撃の末に相手を自分より不遇の下に置くことで、自身の浮揚を図っては安心を得る、ということでしょう。相手を攻撃する事は、生存のためにある脳内の報酬系も関与しているそうで、ちょっとした“正義中毒”のような状態になってしまうのでしょう。アルベール・カミュは、そんな不条理のさなかにあればこそ、人間性がもたらす業からの脱却が叶うのではないかと願い『ペスト』(1947)を綴ったのではないでしょうか。

しかし、今回のコロナ禍でも人は進歩した証を何ら示せませんでした。いつまで経っても歴史に学ぼうとしません。人間の愚かさを、咲き乱れる今年の桜が笑っているかのようでした。近視眼的であり、見えない敵と戦う力については、寧ろ劣化しているのではないかと、危惧したりする今日この頃です。この“見えない敵”の本質とは一体、何なのでしょうか?
その一方で、やたら“安全・安心”を謳う文句が巷に溢れています。それを獲得するための対価はどう支払うのか、考えることそのものを放棄してはいないでしょうか。まさかタダではないでしょう。何をするにも一定のリスクや出費は付き物です。寧ろ、対価や代償を求めることそのものが、あたかも悪い事でもしているかのように情報は操作されて伝わるご時世です。問題の在り処に気が付いたヒトが悪いことをしているかのような印象を持たれてしまいかねません。誰も悪者にはなりたくないので、口幅ったいことは言わず、見て見ぬふりを決め込んではいないでしょうか。口当たりが良い、空々しいフレーズだけが先行して、厳しい現実から目を逸らすような風潮もまた、エゴに拍車をかけている様に思います。叩かれたくないから口を噤む、気が付いてはいるけど口にすると輪が乱れて嫌な顔をされるから黙ってやり過ごす、責任を取らされるのが嫌なので何もしない…、そんな事をしている間にCOVID(コビッド)-19(新型コロナウィルス感染症)だけでなく、国の安全保障環境も刻々と変化してしまいました。この間、一体何発のロケット弾が日本海に打ち込まれたことやら。日頃から議論することさえはばかってしまい、皆が思考を止めてしまった結果、誰も何も決められない、決めさせない…。それがこの国の一番の病巣に見えます。

目に見えない敵、その本質は“不安”なのだと思います。ウイルスに侵されることも不安ですが、それ以上に対価の支払いにさえ不安があって、自分だけは損をしたくない、という欲求が先述の記事にあるような事態を招いているのではないでしょうか。誰かが失言でもして矢面に立って叩かれてくれるのを待ってから、なし崩し的に物事のルールを決めていく。それが戦後70年もかけて獲得した、この国で生きる知恵だとするなら、残念としか言いようがないでしょうか。
相手の言質を取って自分だけ保障されたい…自分だけ不安から解放されたい、とかいう思考の次元からの脱却を、今回のコロナ禍で突き付けられたのです。自分達で考え、決断に対してリスクを取る、これは不安に対して立ち向かう際の基本であり、原則です。許容できる範囲のリスクがどの程度であって、冷静な判断の下に、現実的に可能な対応を浮足立つ事なく粛々と行う…。これはacceptable risk(容認できるリスク)という考え方です。交通事故が怖いからといって、車を禁止しない所以であり、人類は一定のリスクを許容してきました。今回も出来るのではないでしょうか。

(白帝ニュース 令和2年5月)


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